念願の山行が実現した。
ヤマレコに人津谷経由の大日岳山行計画が掲載されており思い切って同行を申し出た。そこまでは良かった。
その日が近づくに連れて天候は春の陽気に。明らかに危険度の高い日になることが確定的になっていった。最低気温が10度で最高気温が20度の春スキーなんて危険すぎる。
直前まで中止になるのではないかと思いつつ特にそのような気配なし(メンバー間では相談はあったのかもしれないのだけれども)。
3時30分集合との連絡に前日に了解の返信をした時点で山行実施が決定した。
自分の心境は雪崩への恐怖はあったが、山行への期待が危険感知を超えるという良くない状態。
当日朝、無邪気に「今日はよろしくお願いします」と申し込んでみるもののお互い硬い。
メンバーの方々からすると、山の状況は危険な状況にも関わらずどこの馬の骨ともしれない男を同行させる負担を強いてしまっているのは明らか…
山行開始はヘッ電で。グループで行動することがないのでビーコンチェックの段階で躓く。そうだった最初にビーコン確認ですよね…
まずは人津谷をつめていくが、小さな沢がありスノーブリッジを探しつつの行動。どこを渡るか? 相談の場面でのそれぞれの判断は勉強になる。
リスク回避とチャレンジ。
文登研前進基地で休憩。4mの積雪あり。雪見平や1779mまでは比較的安全な斜面。樹林も多い。
しかし1779mから眺める次の稜線は壁に見えた。細尾根でどちらも雪崩れそうな斜度。雪割れもそこかしこに見えていた。
自分ひとりなら1779mで終了だったと思う。あそこまでは今日のコンディションでも自分で計算できたと思う。
そこを切り開ける心と技術に感服しながらついていくと確かに登れる斜面ではあった。もちろんトレースがあるからなのだけれども。
登山の奥深さを感じた。まさに連れて行ってもらっていることに恥ずかしくなってしまった。自分はいつかこのようなグループの山行で交代で先行できるような心と技術が伴うだろうか?
早乙女岳まで到着し、見上げる稜線は雲の中。明らかに連れてきてもらっている自分にはとてもプッシュすることを言い出すことは出来なかったし、状況はやはり危険だったろう。
雲は多くなり雨がそろそろ降ってきそうだった。風の冷たさを考えると雨に降られると低体温になりそうだった。
リーダーのここまでとのお達しに心底安堵した。
下山は滑降の安全を確認してもらいながら。やはり滑りは時々危険になる。足もすでに売り切れ寸前だったし。
いくつかのルートミスもあり渡渉の難しさもあり時間がかかったがルーファイの大事さは感じた。
単独なら自分のトレースを忠実に辿ることしかできていないが、下山路が変わればどうなるか?
いろんな意味で勉強になり刺激になり、またお客様であったことに大変申し訳ない思いでもいっぱいになった。
それでも「また一緒に…」と声をかけていただけることはありがたい。
一人で山に行かせては危険だと心配してもらっているのだと思うことにしよう。もっと経験を積ませてもらってまた同行させてもらいたい。
最も感じたことは、危険を察知して安全な策を模索することと道を切り開くためにチャレンジすることとのバランス。
あぁただただ未熟さを感じる1日だった。しかし収穫は多かった。
スタートは暗闇 ヘッ電で
スノーブリッジもひやひや
人津谷途中で休憩中
文登研前進基地で休憩 雪は4mほど
雪見平で一服 弥陀が原と奥に鍬崎山 左奥に薬師への稜線が見える
強くて早い
富山平野方面
弥陀が原
細尾根を過ぎたあと
もう少しで早乙女岳
早乙女岳手前の広々した斜面
ピークはどのあたり?
滑走準備中
おもむろに動画撮影機器を設置し始めるNishidenさん 楽しそう 右腕にコントローラー
Chikauさん 山ヤです
気付かれた! Koueiさん
雲がかかってきました 傾いた写真…
人津谷が実はもっとも滑走しやすかったり…
帰りは2.5km弱をチャリで爆走 KoueiさんとChikauさん
最高点の標高: 2086 m
最低点の標高: 534 m
累積標高(上り): 1681 m
累積標高(下り): -1789 m
平均ペース: 2.62 km/h
総所要時間: 08:53:00
ゼリー3個、レモンティー3杯、水800ml。パン2個、大福、パイ、フルグラ柿ピー2口。
teton bros. wool lite hoody。mont-bellのBCのスキーパンツ、キャプ2タイツ。標高の低い所でwind shell代わりのOMMのether smock。高いところでNorronaのハードシェル。
右ブーツのskiモード時の足関節ロック機構が壊れてしまった。直しが必要。ただ降りてくるだけなら使えなくはないけれども、今シーズンの山スキーは終わってしまったかな。
ブーツを新しく買う余裕はなし。残念。
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