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UTMF2022記録 (100km弱でリタイヤ)

長いのでお暇な方に…

ランニング系の活動まとめ

ランニングの記録はすなわち体重コントロールの記録でもある。

高1で身長の伸びが止まってから大学を卒業するまで週5ほどのサッカー活動を維持していた。
この時期は168cm・62kgのスペックを維持。

卒後6年(30歳時)は体重70kg。まだ石川県社会人リーグ二部(J7相当 笑)でプレーしており、週1-2で練習していた。
結婚して美味しい食事で成長(笑)が始まる。

32歳で社会人登録を終了し、以後3年ほど全くプレーせず。仕事と子育てに没頭。順調に横に成長。

35歳から、社会人リーグ三部のチームでは役に立たないのでシニア年齢じゃないけどシニアチームに属する。月1回、草フットサルで月3-4回プレー。
体重に負けて足関節が悲鳴を上げる(腓骨筋腱脱臼を繰り返す)。

40歳(2009年)時。体重は80kgを超えてキレも体力も消え失せてただの脂肪の塊になった。
時々フットサルはしていたものの頭で想像・創造するイメージと実際のプレーは程遠いものになり、その乖離にどんどんサッカー自体が苦痛になる。

44歳(2013年)時。フットサルからもほとんど離れてしまい、休日は疲れて寝ているか飲み会翌日で動けないかの典型的な中年。
さらに脂肪の塊になる。仕事量も過酷でストレスも極大になる。体重最大84kgに達する。
この頃は小学生の子供と週末や夏休みはファミリーキャンプをしていた。
ふと山でも歩いてみようかと思い立ったのか、2013年10月27日に奥獅子吼山に登っている。これが最初の登山か。
このあたりから減量を兼ねてたまに走り始めた。5分で息が切れて歩くような状態…

2014年7月にsuunto ambitを購入している。この頃から通勤ランを初めていると思うのだが…
残念ながら当時のsuuntoのランニングログが残っていない。アプリの更新とともに消失したようだ。

2015年はランの記録がない。通勤ランはしているはず。山にハマりはじめている。

2016年10月にapple watch 2を購入してからはワークアウトの保存が簡単になり記録が残っている。

2017年。7月にひょっこり温泉ハーフマラソン、11月に第4回中能登トレジャートレイルラン ゴールドコース25kmに出場し完走。

2018年。3月の能登和倉万葉の里マラソンで初マラソンサブ4、10月の金沢マラソンでもサブ4。
10月にapple watch 2が壊れてしまいしばしラン記録なし。

2019年。2月にGarmin instinctを購入。ランのログ記録再開。4月に加賀温泉郷マラソンで4時間ちょっと。すでにピークは過ぎたか。
6月OSJ山中トレイルラン77K完走。10月峨山道トレイルラン77km完走。11月甲州アルプスオートルートチャレンジ80k完走。
このあたりは66kgあたりで推移。
この年末は64kgまで体重は減っていた。

2020年。年始の暴飲暴食でリバウンド。コロナ禍始まる。
彩の国100kmが中止になった。UTMF2021に寄付エントリーで応募。
山も自粛気味。ほそぼそと走っていて体重68kg前後で推移。

2021年。UTMF2021中止。10月に金沢マラソンがあり、UTMF2022にもエントリーしたため走り始めている。距離は伸びていない。
体重70kg前後で推移。

2022年。走り込んで体重は68kgまで減ったが不十分。UTMF2022参加。

黄色線:体重の推移、青棒グラフ:ランイベントと月別ランニング量

急激に体重が減っているときは、ランだけではなく必ず摂取カロリーもきっちり管理している。
そしてリバウンド笑。

UTMF申し込みとコロナ禍

2019年の3つの80km級トレラン完走でITRAポイントを11ポイント得た。UTMFの参加要件は「過去3年の3レースで10ポイント」なので足りている。
しかし翌年のUTMF2020のエントリーは既に締め切られていた。
80km級から100マイル(160km)へ一段飛ばしでいくのは危険。
2020年は100km級のトレランにエントリーして経験を積んで、2021年のUTMFに参加する計画にした。

2020年5月の彩の国100kmにエントリー、秋に別の100kmクラスにエントリーを予定していた。
残念ながらコロナ禍でことごとく中止になった。コツコツ自分で走り山に登るしかなかった。
その山行自体もコロナの自粛ムードで少なくなっていたが。

2021年の大会には寄付エントリーで応募。2019年の実績しかなくポイントの期限は3年。2022年の大会にはエントリーできない。
抽選を受けて神の御加護を受ける余裕はない。そこで寄付エントリーにした。
が、2021年はコロナで中止となった。2021年のエントリー者は2022年以降に優先的にエントリーできると発表されたのでとりあえずは胸をなでおろした。

2021年秋になり、2022年の大会はコロナ対策をして開催されるという。寄附エントリー者はポイント実績から3年を超えていても許可された。
ようやく出場がほぼ確定した。開催されれば、だが。
しかし2019年11月以来トレランレースに出ていない。そんな状態で大丈夫か!?

少しあがこうと、2021年秋の金沢マラソン(救護班として)、2022年1月に木曽三川マラソン(30km過ぎでリタイヤ)、3月にOSJ新城に出場。
しかし長い距離は走れていない。冬の北陸で長距離のランニング練習を行うのは至難の技である。
200mの体育館コースを100周とか、まぁ無理(笑)

新型コロナウイルス対策 −開催者側

基本的な消毒、スタート・ゴール・エイドでのマスク装着は当たり前の対策。
エイドも縮小気味となったようだ。
第6波がずるずると続いたためにスタッフ・サポーター・ランナーの全員が抗原検査を受けるという対策が加わった。
大会中のトラブルを避ける目的と、大会自体が3年ぶりということで難易度をさげること、前日の雨でトレイルが荒れることを考慮し、U1−2間の天子ケ岳の山岳パートは省略されて迂回路となった。
コロナ禍でもあり、絶対に余計なトラブルを起こさないという大会本部の気持ちが伝わってきた。
この措置で、累積獲得標高は1300mほど少なくなり、距離も6km短くなった。
(165km、+7500 → 159km、+6200)
スタート時間も1時間遅くなったが、それでも数時間は余裕ができることになった。

新型コロナウイルス対策−個人

個人としての対応を記す。

ココアアプリは起動。あまり意味はないが。
前後の宿泊は車中泊とした。
マスクを外しての会話はもちろんなし。マスク下でも距離と時間を守って会話した。実際に会話したのはスタッフと二言三言程度だけ。
食事は個食のみ。
帰ってから抗原検査を4日間実施(アマゾンで試薬を購入した)。その後は仕事も休みに入るので省略。
当然、職場の感染対策管理者とも相談し対応を確認した。

幸い陽性となることはなく経過した。

装備

ザック

持っているザックで100マイル級のトレランに使用できそうなのは、モンベルの7L、OMM ultra 15L・Phantom 25Lの3つ。
7Lは小さすぎ、25Lは大きすぎ。OMM ultra 15Lがぴったり。そう思って購入したのだが。
トラブル発生に備えて、デポバッグにはザック予備を入れておきたい。
登山にも使える15Lほどのランニングパック。Black Diamond distance 15を購入した。
荷物の量が多くなりそうなら、胸にぶら下げるOMM chest podか腰に巻くPaago worksのrush hipを追加することにした。
OMM ultra 15は防水ではないが、distance 15は防水。パッキング方法が異なってくる。天候に合わせてチョイスすることにした。
実際は1-2日目は雨は降らない予報だったので、OMM ultra 15を用いた。2-3日目は夜に雨が降りそうだったのでdistance 15にした。

ボトル

メインはOMM750mlのボトルで、スポドリ系を入れる。
500と600mlのソフトフラスクには市販ゼリーを移し替えてチューチューする。前半と後半にそれぞれ1本使えるように準備した。
そのほかに500mlのソフトフラスクに予備の水を入れてザック内に常時保管した。

雨具

OMMのaether smockは通勤ラン練習でへたりきってしまい厚手のウィンドシェルになってしまった。
今年になって処分した。普段着にも雨の日にもランニングでも山行でも大活躍してくれた。
同じように愛着のわくアウターはそうない。

持っている雨具。
上半身はmont-bell シェイクドライとトレントフライヤー。前者はまだ数回しか使っていないが、後者はもう5-60回は使っていて撥水はあやしい。
下半身はトレントフライヤーとストームクルーザーがある。どちらも使用頻度は少ない。

もっと軽量なものを探すべきだろうか?
随分と悩んだ。
購入するとしたら、今後3000mの夏山で使うことができるかどうかで判断した。

ゴアテックスではない、より軽量なものはいろいろある。
特に財布の紐を刺激したのはrabのpertex shieldを使ったもの(phantom上下)。上下で200gを切る。地元のショップで見つけてしまって羽織ってみたが、ぺっらぺら。
これはトレランの規定は満たすかもしれないが山では使えない。防水機能の多少あるウィンドシェルとして購入するには高すぎる。却下。
そういう目線で各社のものを探してみたが、現有戦力で十分との結論に達した。
上シェイクドライ・下トレントフライヤーを主、残りを予備にした。

結果的に雨具は用いることはなかった。保温用としても着ることなし。
それにしても、冬季に用いるハードシェルは重厚で今ある雨具は軽薄。間を埋めるような雨具が欲しい。
夏の3000mの稜線で暴風雨になってもしっかり守ってくれるシェル。
落ち着いたらゆっくり探そう。

保温着

上半身。
持っているもので軽量で使えそうなのは、パタゴニアキャプリーン4、rab alpha flash jacket、mont-bell ULサーマラップパーカ、あたりか。
rab alpha flash jacketを主、キャプ4を予備にした。
U4が寒くてrab alpha flash jacketを着用。active insulationなので着たまま氷穴まで行動した。
年中使える頼もしいinsulationだ。

下半身。
norrona lyngen alpha 100 3/4 pantsとTrimtex training pantsが候補。
大会規定を満たしてなおかつ軽量化するならタイツと雨具だけで凌ぎ続けるという考え方もある。しかし絶対にそれだけでは寒いので却下した。
ウェアでスネを出さないなら前者を使用する、スネを出すなら後者とした。
1-2日目はカーフサポートを装着して太腿は素足。norronaを持っていった。U4が寒くて装着した。フルジップなので着脱が簡単。

帽子。
フリース生地のネックゲイター。帽子にもできるしネックゲイターにもできる。使わなかった。

エマージェンシー

手持ちの装備から、ビバーク用のシートは銀紙のような軽量シートとSOLビビーのいずれかを選択することになる。
仮眠可能なエイドでの使用を考慮して、ビビーを持った。特にU4での使用を念頭においていた。
痙攣予防に、ツムラ68(芍薬甘草湯)、マグオン(Mg補給)。
眠気予防に、カフェイン入りジェル、カフェイン入りアメ。
その他にロキソニン、アレグラ(アレルギー性鼻炎用)、アミノ酸粉を持っていった。
ケガ対策にはカットバン、消毒、テーピングテープ、はさみ。

ヘッドランプ

手持ちはBD storm(乾電池)、petzl bindi(充電池)。
前者は安定の照度。電池であることが面倒か。
後者は緊急用。ランニングに耐えられる光量ではない。もっぱらテン場での行動・テント内照明として使ってきた。

乾電池の時代では無くなりつつあるので、充電池で明るいものを探すことにした。
後頭部に電源があるようなトレラン専用品は却下。登山、特にヘルメット対応しか認めない。
その結果、petzl swift RLを購入した。バッテリー予備も。
stormは必要十分なものだが、400ルーメン。swift RLはなんと900ルーメン。そして周囲の明るさに合わせて照度の自動調節機能がある。stormの後継と考えた。

U1からU4まで使ったが、光量の調節機能は素晴らしい。これが今後の山行のメインになることは間違いなし。

U3近辺はガスっていたのだが、ガスの中ではヘッドランプは視界が悪くなる。
ハンドライトを持っていっていたのだが、ガスの中のみ用いたら視野が得られて行動しやすかった。正解。
その他にバッテリー・各種ケーブル。

カップ

Wildo フォルダーカップ。210ml。取っ手に穴を開けて小カラビナでぶら下げる仕様にした。

食料

たくさん持っていったが、消費したのはクッキー系2ケ、ゼリー1、麺1、のみ。
あとはフラスク内のゼリー600mlと補充しつつ消費した水分2.5Lほど。
残りは各エイドで振る舞われるものをすべて食べることで足りた。

後半の分、予備を含めると大量の行動食が余ってしまった。もうトレランはしないのにどうやって消費しよう?
普通の山行ではもう少し楽しいものが食べたいんだけどなぁ。
とりあえず毎日の昼食で消費だな。
トレイルバターがお腹に重たくてどうやって消費しようか悩み中。食パンに塗ると食べられなくはないのでテン場でパンでも焼こうか…

ウェア

1-2日目
パタゴニアバードヒルキャップ、VAPROの老眼鏡付きサングラス、アークテリクスTシャツ+オクトスアームカバー→U2でrab pulse hoodyに着替え、山と道5ポケットショーツ、mont-bellメリノパンツ、R/Lレッグカバー、injinjiメリノソックス(厚手5本指)、HokaOneOne speedgoat GTX、pertex quantum air素材のKarrimorのウィンドシェル
腿は素肌を出している。

2-3日目
mont-bellキャップ、VAPROの老眼鏡付きサングラス、patagonia Tシャツ、メーカー名忘れたメリノパンツ、mont-bellニーロングタイツ、teton bros. ランパン、injinjiメリノソックス(厚手5本指)、HokaOneOne Challenger ATR 6 GTX、patagonia houdini jkt(ポケット内)
気温28-9℃の状態だったので、スネ・腕は素肌。

アークのTシャツとオクトスのアームカバーは色合いが好きなのでつい選んでしまったが、汗抜けが悪く選択ミス。最初からrab pulse hoodyにしておけばよかった。快適さが違う。

このベースレイヤーはもう一枚欲しいがもう売ってない。
後継はrab force hoodyのようだ。発売されたら絶対に買う。2枚くらい買う。
同じような商品は、アークテリクスのcomac hoody。ネットではあっという間に売り切れていた。

山と道の5ポケットパンツはトレラン用には見えない代物だが、ポケット収納が秀逸でこういうロングコースではとても良かった。
左ポケットはA4を1/4に折りたたんだサイズ。持っていく地図の収納にピッタリ。
右ポケットはiPhoneがすっぽり収まる。
左右の前ポケットはなんでもぽいぽい入れられる。意外とこぼれ落ちたりしない。
右後ろのジップ付きポケットは貴重品を。今回はマスク。

カフェイン対策

一日にコーヒーは3−4杯飲む。ものすごく多くもないが少なくもない。
明らかにカフェイン切れを感じながら仕事をしているので、半分中毒だろう。

ロングのトレランの準備をいろいろ調べていると、「カフェイン断ち」なる儀式があるそうな。
2−3週間ほどカフェインを減らす、もしくは断つ。
今回のように夜を徹して走ることがデフォルトのような大会では、睡魔とどう戦うかは死活問題だ。
しかし生活習慣的にカフェイン断ちはなかなかに厳しい。

いろいろ悩んだ。
現実的に日常生活のカフェインを断つことで仕事のパフォーマンスに影響が出るのは避けたい。
そうなると如何にレース中に効率よくタイミングよくカフェインを摂取するかにかかっていると考えた。
ここから先はとてもお勧めできる行為ではないが、カフェイン製剤を用いることにした。
具体的には、カフェイン飴製品とカフェイン入りゼリー。
薬局を回ると前者はどこにでもおいてある。後者はネット通販した。
さらにエイドのお湯で飲めるようにコーヒーも用意した。
コーラも各所で手に入るだろう。
ドロップバッグにもコーラを1本入れておいた。
これらを装備に加えて、適宜摂取することにした。まぁドーピングのようなもんだ。

実際のレースでのカフェイン摂取は、
U1 で振る舞われた紅茶、U2でコーラ小缶・振る舞いのコーヒー、U4でコーラ小缶、U4-5の道中でカフェイン飴半分量を補充した。
この摂取時間は19時〜翌朝6時くらいだった。この間は睡眠なしで行動し続けた。ほとんど眠気は感じなかった。
その後は膝の痛みで眠気吹っ飛び覚醒(泣)。
U5でもコーラ小缶摂取。ここで30分睡眠。
その後、U6との間でリタイヤを決めて国道138号線で帰る途中は緊張の糸が切れたのか睡魔に襲われた。
この経過を考えると、少なくとも2日目の夕方までカフェイン断ちは不要だった。適宜カフェイン補充で十分に乗り切れる程度だった。
さほど中毒ではないのか? 杞憂だったのか?
それともこの後が大変だったのか?

ちなみにカフェインはドーピングには相当しないが、注意薬剤の一つではある。
大量摂取での致死量も設定されている。

サポーター制度について

隣の芝は良く見えるんです。
サポーターのサポートを受けている人を横目で見ているとそれはそれは羨ましい。
エイドで振る舞われるものは限られているが、サポーターは何でも持ち込める。
精神的、物質的充足は計り知れないだろう。

ちなみに一応妻には、”こんな制度もあるよ…”とつぶやいてみたが、「仕事あるし無理」、で終了。まぁ高校生も家に居るから放っておくわけにもいかないしな。
山梨に進学した娘にも一応聞いてみたが、そもそもサポーターとして抗原検査を受けにくるタイミングが上手く合わない、大学が休めない(当たり前)。
悲しいかなサポートは得られなかった…
土曜日のリタイヤ後に連絡すると、彼氏と遠くで遊んでた…
まぁそうだよなー

村上龍の「男はすべて消耗品である」という言葉が思い出された…

レース経過記録

前日 (4月21日木曜日)

水曜夜に荷物は全て車に積み込んだ。
木曜午前中は普通に仕事をした。昼に仕事を終えて、職場から直接移動を開始した。
北陸道-東海北陸道-高山-安房トンネル-松本-長野道-中央道と経由。
17時過ぎに中央市を通過した。講義を受けている大学生娘には会えなかった。
一宮御坂ICで降りて137号線で河口湖入りした。
雨が降ってきた。最寄りのコンビニで夕食を確保して車中泊候補の道の駅かつやまで食べた。ここは寂しいので車中泊場所として却下。

富士山パーキングに車で移動して歩いて受付会場へ。
会場入口前で、抗原検査を受けた。自分で鼻に突っ込んで検体採取。10分待って確認。陰性。クリア。
判定場所には六花さんがいた。特徴的な髪型で目立ちすぎです。挨拶する。

受付会場内に入り、ゼッケンなどを受け取る。
装備の確認は、①雨具上下のシームテープの確認・②保温着上下・③ヘッドランプ2つとその予備電源、の3種類だった。無事確認してもらい終了。

車に戻り、今度は富士吉田の道の駅へ移動した。こちらは明るくて広くて新しい。
ここで車中泊とした。

車にこもって翌日の天気予報と睨めっこしながら装備の入れ替えをした。
1-2日目はタイツにランパンで行くつもりだったが、かなり気温が高そう(最低でも8℃程度)だった。太腿を出して、寒ければ3/4パンツで保温することにした。
雨が道に残っていることを考慮してゴアテックスのシューズにした。
またU4での仮眠も見越してかさばるけれどもビビーを持っていくことにした。

ドロップバッグの中身も悩む。2−3日の夜間に少し雨が降る見込み。気温も7−8℃なのでかなり寒く感じるだろう。内容をある程度絞り込んで詰めても45Lザックに一杯一杯になった。
22時には寝た。

当日 (4月22日金曜日) 朝〜移動〜スタート会場(こどもの国)入場〜レース前

朝5時に目覚ましで起きてしまう。ウダウダして6時頃に朝飯を食べた。

道の駅上から富士山

さらにウダウダしつつ、天気予報とにらめっこしてまた装備の入れ替えなどを行う。
さらに暑くなるようだった。
1日目はずっと蒸し暑い晴れで夜の気温は下がっても10度まで。2日目昼は25度近くになり夜に小雨、日曜は蒸し暑い曇りで25度あたりと判断した。
本当に装備ウェアは悩ましい。
最終決定して着替えて足にワセリンをしっかり塗って靴下をはいた。
きちんと排泄も終えた。

準備を終えて10時30分頃に富士山パーキングに入った。
まだ時間があるのでマンガ読んだりテレビ見たり…
もう快晴で25度近くになるだろうか。
少し早めにU5富士急ハイランドのバス停に歩いて入り、列に並んだ。2台目に乗車できた。12時過ぎ出発。
コロナ対策で座席場所を記入登録する。
1時間強バスに乗ってスタート地点のこどもの国に到着。日陰で昼食を食べながら装備の再確認。ドロップバッグを預けた。

入り口で検温。

外ですることもないので、こどもの国の中に入り日陰で待機することにした。
日差しは暑いが風は冷たい。日陰では寒く日向では暑い。
することがないので周りを観察しつつぼーっとする。
モンタナキャップをかぶった一団がいたが、会話の感じから石川県の方々なのだろう。

あまりにすることがないのでスタート会場まで行くことにした。

スタート会場。奥からこちらに向かって走る。

芝生に座ってのんびりしていたら見たことのある面々が前に座っている。サングラスをかけているこちらにはまだ気づいていない。

左からミエリン、こやまちゃん、じゅんさん、じゅんさんのお連れさん?

トイレに行って戻ってくるときに顔を確認。間違いない。声をかける。
参加するじゅんさんとお互いの健闘を祈り合う。応援の女子ふたりとも雑談。

二人で撮ってもらった

この後スタート。
wave2のじゅんさんをみんなで見送って、wave3の自分もスタートゲートへ。
ちなみにwaveは持ちタイムが早いほど早い番号になる。遅い人を後からスタートさせることで混雑を防ごうということらしい。

あの丘を超えて!

快晴のなかスタートとなった。女子二人は私のスタートにも声をかけてくれた。本当にありがとう!

スタート〜U1富士宮

16時スタート。

スタートからしばらくはこどもの国の中の舗装路。ほどなく場外の砂利道林道になる。このあとは舗装路・砂利道を繰り返しながら林間を進んでいく。ほぼ日陰で涼しい。下り基調なのでついついスピードがでてしまう。
いつものように登りは「一切」走らない。その代わり平坦なところと下りは必ず走る。

ところどころ切り開かれたところから富士山が見える
ひょっこり富士山

地図にある高圧電線を超えると程なく右折して富士山。

このあと左折してトレイル(ここでは緩やかな山道という意味で使う)に入る。
鉄塔下の直線路だ。
直線路といいつつ富士山のしわしわ(沢筋)に沿って起伏がある。

起伏のたびに渋滞になる。
高圧電線の下に延々と続く列

徐々に日が傾いていくので、渋滞中にヘッドライトを装着しておく。適宜補給も。
そのうち暗くなってしまい点灯。薄暗い中小走りしてスピードをキープする。
個人の畑の横を通り程なく牧場地の間の林を抜けるとエイドだ。

合計距離: 21038 m
最高点の標高: 929 m
最低点の標高: 554 m
累積標高(上り): 587 m
累積標高(下り): -909 m
平均ペース: 7.90 km/h
総所要時間: 02:49:46
Download file: start-U1.gpx

この区間は3時間30分の予定だったので速く進み過ぎ。まぁ特につらいところも無かったので無理したとは思っていないのだが…

この区間でポカリスエット500ml、ゼリー150ml、クッキー系2、小ゼリー1を消費。

U1富士宮

18時49分着。

両脇にテントが立っていた。右手前に水、奥にバナナ・小ドーナツ・粉系。左手前にお湯、コーヒー・紅茶、奥にバナナ・小ドーナツなど。
バナナ1、少し体が冷えたので温かい紅茶オーレ一杯、飲んだ分の水分補給をした。水分には粉は入れない。薄めただけ。
バナナを1本掴んで持ちながらスタートする。

18時56分発。

U1富士宮~U2麓

牧場横を下ると町に出る。バナナを食べながら進んだ。学校の校舎の横を走ったりして、雑草の中を抜けるとそのうち天子ケ岳登山口に出る。
登山道をしばし進み、途中で迂回路に入る。ぬかるんだ砂利道を進み右折する。田貫湖手前のオートキャンプ場(トイレあり)とか小洒落たキャンプ設備を抜けて、そのうち田貫湖横にでる。
すごく簡単に書いているが10kmほどある。

田貫湖。肉眼ではただの真っ暗な湖面もナイトモードならこんな感じ。

山道にまた入り、そのうち清流が横を流れる道を進む。別荘地だったり小洒落た店があったり単なる民家があったり。

鯉のぼりはお休み中で、我々は夜中に走る

民家の中を静かに進む。お寺の横で左折してまた山に入る。学校横を過ぎて砂利道を少し走ると右折してU2へ。

この区間は水分とゼリーを摂っただけ。行動食系には手が伸びなかった。

合計距離: 21468 m
最高点の標高: 820 m
最低点の標高: 487 m
累積標高(上り): 755 m
累積標高(下り): -522 m
平均ペース: 6.31 km/h
総所要時間: 03:34:07
Download file: U1-U2.gpx

ここまででおよそフルマラソンの距離と1200mほどの登り。6時間24分は予想よりも30分ほど早い。

U2麓

22時24分着。

明るく広い

右手にはバナナ・ドーナツ・粉系など。中央に焚き火。左手に水分系。
ここでスポドリ提供があったのでボトル一杯に補充。ゼリーの入ったフラスクにコーラを投入して甘いゼリーを作る。

富士宮焼きそば。もう絶品! 魚粉の香りがポイントだと分かった。味覚が研ぎ澄まされている笑

エイド左手を出ると振る舞いスペース。富士宮焼きそば・大福餅・コーヒーをいただく。
上半身のアークテリクスTシャツ・アームカバーは汗抜けが悪くベタついて気持ち悪いし冷たい。長袖のrab pulse hoodyに着替えて、ウィンドシェルをかぶった。そのまま水分補給しながら焚き火で温まった。

サポータースペースがあったが、みんな素晴らしいおもてなしを準備している。あぁサポーター欲しいなぁ…

22時46分発。

U2麓〜U3見延町本栖湖

出てしばらくはトレイル横でキャンプ野郎たちがキャッキャウフフしてる。
そのうち東海自然歩道に入る。まぁトレイル。ずっとトレイル。
暗いし視界はないしどこを移動しているのかもはや良くわからないが進む。

そのうち「もうすぐ峠への登りでーす」と案内される。本栖湖への峠か。
ここの登りはいつ終わるのかと思う九十九折。列をついてゆっくり登る。
しかし10℃くらいと涼しいのでオーバーヒートせず足は動く。
端足峠を超えて急な坂を下ると本栖湖。
下りでコンパス下り(自分で命名)。体重移動と回転運動だけで降りる。四頭筋を温存できる。しかしどうやらこれが膝にストライク刺激が多くて後々の障害の原因になったようだ。

空気はキーンと冷えている。
しばしロードを進むとエイド。
少し眠気で朦朧としている。疲れたなぁ。

写真の一枚も撮らず黙々と進んだ区間。ここも水分とゼリーしか口に入れていない。
大量の行動食はおもりにしかなっていない…
やはり美味しいと思わないものは口がすすまない。

合計距離: 11007 m
最高点の標高: 1265 m
最低点の標高: 809 m
累積標高(上り): 579 m
累積標高(下り): -484 m
平均ペース: 4.90 km/h
総所要時間: 02:37:44
Download file: U2-U3.gpx

U3見延町本栖湖

日が変わって1時2分着。

天子ケ岳を超える本来のコースでのU2の到着予想が1時だったので、ものすごい気分的には楽になった。

このエイドでは水道から水を補給。見延饅頭を一つ、行動食の高カロリークッキーを1枚食べる。
椅子に倒れ込むように寝ている人が多数。
ものすごく寒く感じるのでお湯で何かお腹に満たしたかったが、お湯の提供がない。
小屋の影で一息入れるが、寒いし他にすることもないので、進むことにする。

1時12分発。

U3見延町本栖湖〜U4精進湖

エイド奥から登山道に入る。また九十九折がしばし続き、淡々と自分のペースで登る。しばらくでトラバースに入り、尾根を巻きつつ佛峠に出る。
その後は下り基調でアップダウンを繰り返すとそのうち眼下にロードが見えてくる。中之倉トンネルか。
このあたりからまた渋滞になる。
パノラマ台への登り返しのためか。渋滞なので疲れることもなく淡々と進む。
最後の急登は少しきつい。
登りきってパノラマ台。

パノラマ台から。月夜に雲海です。幻想的。

このあたりから左膝の外側が痛くなってきた。部位的にはランナーズニーの部位。腸脛靱帯炎。
久しぶりのこの痛みだ。オーバーユースであることは明らか。
あぁトレーニング不足が露呈した。
この痛みはステロイドでも打たないと無くならない。発生してしまうともうすぐには止められない。
エイドの救護に局所麻酔剤が置いてあったら自分で打ちたいくらいだが。
あぁ注射器と薬液を持ってくればよかったんだなー、それはドーピングになるのかなぁとか考えたりしていた。
できるだけ負担がかからないように下る。登り返しは痛くない。下るときだけ。
だましだまし下っていく。

途中で烏帽子岳。

景色としては同じだけど… ナイトモードが素晴らしすぎて感動

ものすごい時間をかけてやっと下界へ。平坦なトレイルを淡々と進む。普通は走るべきパートだと思うが、周りもあまり走っていない。自分は走れないというかここで走らないほうがいい。
キーンと冷えた空気の中、淡々と進むと町に出た。もう明るくなってきた。
U4到着か。寝れるかなぁ…

行動中は水分とゼリー。黒糖わらび消費。ベタベタするのが嫌だが中身は最高。

合計距離: 12118 m
最高点の標高: 1319 m
最低点の標高: 912 m
累積標高(上り): 928 m
累積標高(下り): -921 m
平均ペース: 3.92 km/h
総所要時間: 03:33:21
Download file: U3-U4.gpx

U4精進湖

4時34分到着。

まずトイレに入りたい。朝は比較的快便なのです。
ゲートを超えてすぐにトイレの列があった。たった3つしか男子トイレがない。待つ。凍える。
ひねり出して(失礼)エイド内に入った。トイレの待ち時間だけで10分ほど使う。

まず田舎ぞうすいが目に入ったので温まろうといただく。残念ながらぬるい… 温まらん。
ついでコーラを掴む。
お湯が目に入ったので、インスタント麺でも食べようと椅子に腰掛けて装備を開いて中から取り出して湯を注ぐ。
が、湯がぬるい。麺がほぐれない… 温まらん…
無理やり崩して流し込む。悲しい。
コーヒーも見当たらない。
温まらないので保温着を着込んで荷物の整理をする。クッキー1食す。あまり食が進まない。とはいえそれほどお腹が空いているわけでもない。

エイドスペースには横になれるところがない。かといって仮眠スペースに入るのもなんか気が進まない。どうせ1時間しか寝れない規則だしなぁ…

消耗はそうでもないので、先に進もうとエイドを出る。

5時10分発。

U4精進湖〜U5富士急ハイランド

保温着上下にウィンドシェルを着てロードを進む。長ーい登り。
淡々と歩くがそのうち右膝の内側にも痛みが出てきた。
これは内側側副靱帯から大腿骨内顆あたりの痛みだ。うーんなかなか厳しい展開だ。骨が痛みを出しているならかなり厳しい。着地のストライクで軽い骨挫傷になっているかもしれない。
歩けないわけではないのでスピードを落として歩く。

眠気が出ないようにカフェイン飴をなめる。
前にフラフラとしている人がいるので声をかけたら睡魔に襲われていると言いつつすごい顔をしている。かわいそうになり、カフェイン飴の半分を譲った。
だんだん日が登り暖かくなるに連れて保温着を脱いでいく。

そのうちに富岳風穴というところに出る。茶屋裏の自販機でレモンスカッシュ補充。生き返る。

また進む。そのうち右に案内されて観光地の氷穴が出てくる。なんでこんなところに入るのか?と思っていたが、ロードの下をくぐって反対側に出るためだったのか。

とっても観光地

すぐに東海自然歩道の山道になった。広々として景色が良くてとっても気持ちのいいトレイル。
しかし自分の膝はもう限界。困った。ここの登り降りをしないと富士急に帰れない。
ゆっくりゆっくり進む。負荷が少ないので全く汗もかかないし脈拍も上がらない。
どんどん抜かれていく。悲しい。
それでも一歩一歩前に進む。もうこの膝では完走は無理だと分かっていたが、富士急には帰りたい。
とにかく淡々と前に進む。

富士山に癒やされる

足和田山の登りに1.5時間もかかった。

山梨百山の一つ

ここからは下り。地獄だった。膝の痛みに耐えて1時間20分かけて下界にようやく着地。

河口湖が見えてきた。もうすぐ下界。

平坦地は歩ける。4月としては猛暑になっているようだ。予報では25℃だったが、もっとありそう。

自販機に群がる先行者。自分も群がった笑。CCレモンをいただく。

このあと変なトレイルとロードを交えつつU5にたどり着く。
歩きながら妻とLINE。膝の痛みでリタイヤしかないだろうと状況と報告する。

着いたー

良いのか悪いのか分からないが、この区間はあまりにスローペースだったので全く疲れなかった。しかし膝痛がひどすぎて着いたときはもうすぐにリタイヤと思っていた。

自販機エイド多用笑。水分、ゼリー、途中でクッキー2消費。

合計距離: 22760 m
最高点の標高: 1354 m
最低点の標高: 854 m
累積標高(上り): 894 m
累積標高(下り): -957 m
平均ペース: 4.29 km/h
総所要時間: 05:51:54
Download file: U4-U5.gpx

U5富士急ハイランド

11時3分着。

入ってエイドの内容を確認する。あれ、吉田のうどんはどこ? どうやら無いらしい。ゴールにしかないのか… ゴールしないと食べられないのか…
なんか悔しいな笑

うどんは諦めてドーナツとコーラを掴んでドロップバッグを回収。
日陰に座って一息ついた。
もうここかどこかでリタイヤ間違いなしなのだけれども、ギリギリまで進んで粘ってみようと気持ちになった。往生際が悪いな、自分。
14時30分までに出ればいいのでゆっくりする。

まずは着替えることにした。更衣室がないのでトイレに入って上下とも着替え。頭は”水のいらないシャンプー”でスッキリする。

落ち着いたところでドロップバッグに入れておいたカレーメシをいただくことにする。
今度はしっかりお湯が出る。ついでに小カップ麺も。
食べると力がみなぎってくる。行動食には全く手が伸びない。重りだ。
歯磨きをしてリフレッシュする。パッキングを終えてドロップバッグも整理整頓。

いろいろ準備が終わったところでその場で寝っ転がって仮眠。風は涼しく日差しは温かい。快適だ。タイマーをかけて30分寝る。

起きると周りにはあまり人が残っていない。まぁほとんど最後尾だよなぁ。
歩いてみるが痛くはないので、再スタートしてみる。
ゲートの人は「まだまだ行ける!」って言ってくれるが無理っしょ。どこかでリタイヤさ。
しかし行けるところまで行ってみようじゃないか。

13時3分発。

U5富士急ハイランド〜国道138号線での帰還

バイパス沿い?に向けてトレイルを進む。暑いが乾いているのでさほど辛くはない。北陸の夏って湿気が多くてほんとに地獄なんだなと改めて思う。
バイパス沿いをてくてく進む。さほど痛くない。
またトレイルを下っていく。木陰で気持ち良い。
そのうち民家近くに入っていく。

あまりに暑いので念の為コーヒー500mlを自販機で購入しておく。

美しいしだれ桜。
鳥居のきれいな神社。

この後、小倉山という小山に入る。最初からかなり急登。前後の選手はみなへたばっていたが、途中で楽!?をしていた自分は心臓と筋肉は楽ちん。しかし微妙に膝がうずき出した。
下りに入る。わずか3−40mほどの高度差。
しかし両膝痛再発。下れない…
あぁ…やっぱり下れないんだ…
悲しい気持ちになりつつ、淡々と降りる。
降りて左折するところで、案内をしているボランティアの方に相談。
”もしここからU5に戻るならどうするのがいいでしょう?”
コース通りに国道138号線に出てそのまま国道を歩いていくのが一番近いとのこと。
歩いていくと車中泊した道の駅富士吉田の横に出る。多くの先行者が休んでいる。アイスとかいろいろ食べ物があるなぁ。
スルーして下っていくと国道に出た。
ここで静かにゼッケンを外した。
前後の選手は道路を横断して山岳パートに入るが、自分の足はもうあそこを超えられないだろう。
そのまま国道沿いにU5の富士急ハイランドに向けて歩いた。

一番近いと言っても5kmくらいはある。とぼとぼと歩いた。
出来れば関門時間切れ、という幕切れにしたかった。自分でリタイヤを宣言するのは避けたかった…

歩きながら本部に電話をして対応を確認した。U5エイドに戻ればリタイヤ手続きができるという。

合計距離: 12802 m
最高点の標高: 980 m
最低点の標高: 843 m
累積標高(上り): 309 m
累積標高(下り): -296 m
平均ペース: 5.39 km/h
総所要時間: 02:32:05
Download file: 登山.gpx

リタイヤ手続き〜駐車場

U5に戻った。多くの完走者が戻ってくるなか、エイドに入ってスタッフに声をかけた。
見たことのあるお顔があった。あぁこのエイドはrun boys, run girlsのショップが運営しているんだった。youtubeでも目にした店長さんだ。
ということはここに居る方々はもちろん完走経験者ばかり。

”足の痛みで山を超えられないと思って引き返してきました、リタイヤ手続きをお願いします。”と伝えた。
「ナイス、ジャッジ」と声をかけてもらった。まぁ完走経験者からしたらそういう言葉しか無いよなぁ。悲しくなった。

リタイヤ手続きのスタッフの元に案内してもらいコードを読み込んでもらって終了。
ドロップバッグを受け取り車に向かった。
早い選手はどんどんゴールしてくる。みんなすごいなぁ…
まるでこの時間に完走した人かのように近くを歩くのがつらい。違うんだよ、完走してないんだよ、オイラはリタイヤしたのさ。
不甲斐なさに悲しくなる。

車に戻り装備を全て片付けた。大量に残った行動食にビビる。

さて今からどうしよう。さすがに風呂には入りたいな。

レース後のリフレッシュ

最寄りの温泉を探して入った。
カラスの行水。
隣に完走者がいた。サポーターとの会話でそれと分かる。

隣に吉田のうどんの店があったので入った。

かきあげがうまい。素朴なだしのうどんと思ったが、七味ベースの粉末を加えると味変。
あぁうまいわー。
とっても満足してしまった。

さぁこれからどうしようかなー。とりあえず寝たいな。
道の駅富士吉田に車で行って車中泊することにした。
食べたいものを途中のコンビニで買い込んでいく。

道の駅に入って駐車。まだ外は明るいが寝た。断続的に9時間ほど。
断続的というのは時々電話がかかってきたので。
どうやらリタイヤの登録がうまく本部に伝達できていなかったらしく、U5-6間でロストしたと思われたようだ。
確認の電話が何度かあった。
運営も大変だ。参加者2000人ともなれば何人もの確認が必要だっただろう。しかも深夜だ。頭が下がる。
なので丁寧に対応しお礼をちゃんと述べた。
ありがとうございました。

帰宅

翌朝、キチンと5時に目が覚める。じじいだ。
本当は娘のところに顔を出して飯でも食おうかと思っていたが、土曜はどうやら彼氏と遠出していたらしい。
20歳を過ぎた娘を拘束するのも邪魔するのも気が引けたのでまっすぐ帰ることにした。
子離れしないとなぁ…

グーグルさんの言うとおりに高速に乗って帰る。都留経由。
途中のSAでお土産購入。今回はしっかり各所にお土産。申し訳ないくらいに休みをとってしまった。

松本で高速を降りて、市街地に向かった。
ブンリンでも覗いてこようと思ったのだ。
いろいろ見て回ったが、山スキー関連の商品でいま必須の買い物はなかった。
あえていうとブンリン製の最強クトーか。
それは買わず、ヒールサポートの嵩上げ商品(勝手にカポカポと命名)を購入した。
まぁ使ってみよう。

お昼近くになったので、途中のそば屋に寄る。

山賊焼きとそば。すごいボリューム。そしてこの山賊焼きが美味しい。ごちそうさまでした。

この後は慣れた安房トンネル周囲を通って高山から東海北陸道に入って帰った。

トレイルランニングというモノについて

トレイルランというスタイル

山を走るなんて、素肌を出して山に入るなんて、ちゃんと装備を持っているのかよ、遭難したらどうするんだよ…
トレランを語る否定的な言葉はあれこれ目にする。
そんなことを言ったら、山スキーも同じだ。
なんで山を滑るんだ、ゲレンデ滑ろーよ、雪崩れるかもしれない斜面をなぜ滑る、お前らの身勝手で遭難したら税金使うんだろ…
こんな風に語られてしまう。

登山もクライミングも山スキーもバックカントリースキーも、そしてトレランも自然と付き合う別々ののスタイルなのだと思うことにしている。
「それってフツーの登山なの?」と思うから整合性がない部分が出てくる。

それぞれのスタイルとリスクマネージメント

様々な山に入るスタイルがあり、それぞれの装備の考え方が少しずつ異なる。
その差が批判的な言葉とともに表面化するのだろう。
結局のところは装備の問題というのは山という自然と向き合う時のリスクマネージメントの問題だ。

自分にとってのトレイルランニングは
「安全と判断する」部分は走り、
「危険と判断する」部分は歩いたり様々なエイド(時にロープなども必要かも)を用いる。
だけである。
安全の中には、「周囲の安全」も含むし、「自然に安全(優しい)」も含む。
一人で行動するか、複数で行動するか、エイドやスイーパーの居るレースなのか、でも安全の範囲は変わってくる。
多分ほとんど皆同じように考えているだろう。
ただ「安全」の範囲は経験や知識やその個人の身体能力によっても変わってくるので、本当に多様だ。

自分の場合はエマージェンシーの考え方は基本的に普通の山行とほとんど変わらない。
レースのレギュレーションを形式的に満たすだけのぺらっぺらの雨具とか保温着は絶対に使わないし、コースによってはロープやガチャ類も持っていくだろう(レースではそんなコースはないが)。

唯一「レース」という形態を取ることにだけ少し違和感がある。
レースではエイドに頼る。特に水分の調達に関してはエイドなしでは難しい場合が多いだろう。
エイドなしなら3−4Lは担がないと行動できない。

何百人もの選手が短時間にトレイルを通ることによる負の効果も見逃せない。
まだ未熟なトレイルは多くの人が通ることで「みち」として出来上がる効果があるだろうが、逆に自然の自己修復を超えて大勢でみちを破壊していると感じることも少なくない。
この違和感はずっと喉のしこりのようにいつも引っかかっている。
これさえなければレースという形態をいとわない。

走れるところは走るために、必要十分な装備のなかでも軽量なものを選んで、安全に速く、山を楽しめるように、
トレイルランニングというスタイルが成熟していくことを期待している。

今後の自分とトレランとの距離

前項で書いたように、レースが自然を破壊しているのでは無いかという危惧がどうしても拭えない。
なので、レースという形でトレランをすることはUTMF2022を以て終わりにしようと思っている。

ただ必要十分の軽装で長い距離を移動して自然を楽しむというスタイルは捨てたくはない。
糸魚川海岸から松本城までつながる「塩の道」を1泊2日で歩き抜くとか、八ヶ岳縦走ワンデイとか、そういう個人的なチャレンジはしてみたい。
そのために「トレラン」という経験で得た装備とか方法論が役に立つだろうと信じている。