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右アキレス腱断裂治療記録

治療記録(備忘録)のような家族の記録のような…

受傷まで

スポーツ歴

サッカー選手登録歴21年(小3〜32才)、その後草フットサルとシニアチーム(登録なし)で8年、職種つながりの草サッカーで4年ほど活動してほとんど引退。
以後は草フットサルに行く程度で徐々に頻度は減少。この2年ほどはほとんど蹴っていなかった。

登山を始めて10年。ここ数年はアキレス腱炎・アキレス腱付着部炎のような症状が時折起こることがあった。ハードワークの結果なので、負荷をコントロールしつつ消炎処置など繰り返して対応していた。

下肢のけがは23歳時にサッカーの試合中に左前十字靭帯を切って再建術をしている。このときにギプス・松葉杖生活を1.5ヶ月ほどしているはずだが、全く覚えていない。その後装具(DonJoy)生活も6ヶ月していたのだが。

当時はがむしゃらにリハビリテーションをして、5ヶ月後に通常練習に復帰し8ヶ月後にサッカーの公式戦に復帰した。ケガを気にせずプレー出来るようになるにはさらに1年ほどかかった。
幸い膝の調子は良く27歳くらいに自分の中ではピークを迎えて、その後徐々にプレーは衰えていった。

30代はどんどん体力が衰え体重が増えていった。細かい足元の技術はまだ少し伸びていたがもう手遅れ(笑)。

予兆

腱というのは細い線維の集合体である。
最近は負荷がかかったときにアキレス腱部分でプチ、プチと細い線維が切れている感触はずっと続いていた。劣化・変性した腱線維が少しづつ切れているのだろうなぁと自覚していた。
それと同時に腱自体も細くなっていた。

老化とともに組織のターンオーバー(新陳代謝)は落ちていくので、負荷により損傷した組織の修復は追いつかなくなりつつある。

-1日目(受傷日 2月19日)

職種つながりの草サッカー大会前の練習に多くのOB連中が顔を出すという。
もうユニフォームを返して完全引退しようかと思っていたのでいい機会。練習のフットサルに顔を出した。
アップもそれなりにきちんとし、パス回しなどの基礎練習後にゲーム開始。
1ゲーム終えて2ゲーム目。
方向転換して踏み出した瞬間に足関節の後方でバンと音がした。よくいう「足首の後ろを蹴られたような」感じ。振り返るまでもなく後ろに誰もいないことは分かっていたので、あぁ切れたなと。
なんとか歩けるので場外に歩いて出て、アキレス腱を触ると皮下に腱を触れない。やっぱり切れている。
右足だった。左だったら良かったのに。車の運転に支障がでる。
周囲はすべて専門家なので、響いた断裂音で何が起こったのか分かっている。練習に水を指したような感じになったので、自分は今日はもう無理だけど続けてよーと声をかけて再開を促した。
これが素人集団だと、救急車よんでーとか大騒ぎになるのだろうがそんなことは全くなし。みんな専門家なので何が起こっていてこの先どうすべきか分かっている。ましてや一番年長の自分に何をか云わん。
大学サッカー部時代に苦楽を共にした後輩のSくんが腱を触って、「あー切れてますね」と淡々とごく普通のことのように対応してくる。彼も断裂経験者。
とりあえず着替えて片付ける。
「今日はもう無理」どころかこれでもうサッカーは一生しないつもりなんだけどね。最後の玉蹴りでアキレス腱が切れたのは余計だったな。

動いてみるとなんとか歩けるので車まで引きずりながら歩いて行った。Sくんは車まで付き添ってくれた。治ったら飲みに行きましょう、と言うSくんに礼を言い、車に乗り込んだ。
足趾は力が入るのでそーっとアクセルを趾先で踏んで、左足ブレーキで職場に向かった。

職場の駐車場まで行って今日の救急担当看護師に電話をつないで、松葉杖を持ってきてもらった。
「何したーん?」と驚かれた。彼女は手術室のナース。明日縫ってもらうからよろしくーと言っておいた。
外来にある仮固定ギプスを自分で持ってきて、自分で固定装着する。固定すると痛みは随分と楽になった。運転できるように趾先は出しておいた。
なんとか趾先でアクセルを踏んで運転して帰った。

二階リビングの我が家。上がらないと生活にならない。松葉杖で上がる。こんなに難しかったっけ?
幅が狭くて一段が普通より数cm高い階段。バリアフリーではない作りだ。

仕事を終えて帰ってきた妻に状況を話すとびびる。そりゃそーだ。しかし彼女もナース。受け入れは早い。すまぬ、迷惑をかける。
この日はリビングのソファに急ごしらえのベッドを作ってもらいそこで寝る。

手術するのか? しないのか?

一般論として、アキレス腱は縫わなくても治る。治療経過は少々異なる。
手術しない場合、ギプスなどの固定がより厳格になるし固定期間も数週間長い。しかし一旦治癒してしまえば、その後の経過はほぼ変わらない。

変わるのは再断裂率。ギプスなどの固定期間が終了したあと、腱が成熟するまでの間に再断裂する確率は縫合した方が半分くらいになるとされている。5%前後。縫合しない場合は10%ほど。

自分が治療した患者の再断裂は、縫合後の再断裂は3人、手術しない場合は1人。
なんだデータと違うじゃないかと思うかもしれない。
自分の目の前に現れる患者はほぼすべて縫うことが前提で受診している(紹介されてくる)ので母数が全然異なる。バイアスがかかっている。縫う人が圧倒的に多いという意味。

実際のところ、再断裂するのは固定除去後の正しい安静が守れない場合がほとんど。
要するに言うことを聞かないか、こちらの説明を聞こえていないか。自分勝手に行動・動作する人は切れる。
まぁ不幸にもたまたま転んでしまって切れてしまう場合もあるが。

自分の場合、極めて厳格に安静を守る自信はあったが、固定期間は短くしたい。要は早く通勤の運転を再開したい。
いつかアキレス腱は切れるものと思ってサッカーをしてきたが、右が切れたら手術、左であれば手術無しと決めていた。

今回は右だったので手術。

リハビリテーション

固定期間中、足関節は動かせない。
ギプス内で足関節を動かさないで力を入れること(等尺性運動)はできるが、痛み・断裂するおそれから2週くらいはとてもできない。
その後徐々にギプスや固定器具内で等尺性運動をしていくことになるが、最大出力なんて無理。故に下腿に存在する筋はことごとく痩せるし出力が落ちる。
アキレス腱の縫合術後は筋トレができないジレンマが起こる。

関節は不動により拘縮する。外傷自体の腫脹・手術による内出血や腫脹はさらに拘縮を助長する。
しかし動かせないのである程度の拘縮やむなし。ジレンマである。

固定期間中、荷重が制限される。
体重を支えるということは、抗重力筋である腓腹筋が動作することになる。上記のごとく荷重は制限する時期が必要。

術後の腫れはRICEに尽きる。
R Rest 安静
I Icing 冷却
C Compression 圧迫
E Elevation 挙上
仕事を休む気がない。下肢は下垂するしかない。そうなるとRとEが疎かになる。
しかしこれは仕方がない。休めない。

腱組織のターンオーバーという自然治癒を阻害しないように、リハビリテーションを続けるしかない。

手術日

0日目(手術日、2月20日)

ギプスを巻いてしまうと外すまで患部は洗えない。朝起きて、シーネを外してシャワーをした。もう切れてるから多少動かしても関係ない。腫れも酷くはない。患側を入念に洗っておく。臭くならないでね(まぁ臭くなるが)。
午後に手術のつもりなので、いろいろと必要になりそうなものをザックに詰め込んで準備した。松葉杖で移動するときはザックが一番楽。
朝食後は自分で絶飲食に制限する。妻に送ってもらう。

朝礼で上司・同僚にケガを報告して今後の仕事の対応を確認する。術後ギプスがはずれるまでは業務は縮小する段取りにした。
自分が執刀の予定手術は、申し訳ないが事情を話して延期にさせてもらった。
同僚に執刀をお願いしてこの日の午後に縫合してもらうこととした。

まず午前中は予定の業務をすべてこなす。デスクワーク主体なので平常運転。昼には終わらせる。

手術

アキレス腱縫合は下半身麻酔で実施することが多く、通常は1泊以上の入院が必要な手術。松葉杖を使えない年代だと自宅内をうまく移動ができないという理由で2ヶ月ほど入院が必要なこともある。
しかしどうやら空きベッドがなく今日の入院は無理な様子。織り込み済みな状況なので、日帰りできる麻酔方法にしてもらった。
昼頃に麻酔。
麻酔は大腿遠位後方での坐骨神経ブロック+大腿遠位内側での伏在神経ブロックとしてもらった。いわゆる下半身麻酔(腰椎麻酔)よりも局所的に麻酔可能で、術後の安静もほとんど不要な便利な麻酔方法。
最近はエコーガイドで末梢神経ブロックが容易に確実に行えるようになりとても有用になった。逆にエコーを使えない整形外科医師は徐々に淘汰されつつある。
局所麻酔薬は10-12時間持続するタイプなので、夜中くらいまでは効いている見込み。

坐骨神経のエコーでの描出・同定には少し慣れが必要だが、私のは見易かったらしい。同僚はすぐに神経を探知して穿刺・薬剤注入ができたようだ。薬液の注入が始まると神経支配領域にピリピリと放散する。伏在神経も同様。どのあたりに刺激がくるかで神経のどのあたりに刺さっているか分かるというのは特権⁉か。
効果はばっちり。膝下が全周性に知覚がない状態になった。内顆(うちくるぶし)の一部に麻酔効果が少なく触る感触が残ったが手術には支障ない部位。完璧な麻酔だった。何が起こるか分かっていても痛いのは勘弁。ありがたい。

手術は15時頃から1時間強で終了。しっかり縫ってくれた。ごくごく普通の縫合方法で実施してもらった。Kestler + cross stitch。
45°底屈位でギプスを巻いて終了。

術後

すでに麻酔薬注入から4時間くらい経過しているが何事もないので、点滴も抜いた。
今回の麻酔は股関節の動きや膝関節の動きは妨げない。健側下肢と松葉杖ですぐに歩くことができた。

とりあえずお腹が空いたので、手術室から売店に直行。
軽食を購入して自室に戻り、遅い昼食をいただいた。
さすがに術後すぐは出血や腫れが気になるので、それから2時間ほどは足を心臓よりも上に挙上しつつ自室でデスクワークをした。大柄な姿勢。

いろいろ済ませて21時半くらいになって嫁さんに迎えに来てもらって帰宅した。
少し麻酔が切れ始めてピリピリとし始めている。正座のあとにしびれが治ってくるときのような感じがゆっくりと再現される。
痛みはないが夕食後にロキソニンを飲んでおく。局所は術後炎症まっさかりだ。

昨夜アマゾンで頼んであった大事なものがもう届いていた。
膝下がギプス固定されていると松葉杖生活を余儀なくされる。両手がふさがってしまう。
しかし立位で両手をフリーにして仕事がしたい。
そのために膝で体重を受ける装具(iWalk、米国製)を自費購入した。

↑商品画像

これを用いると膝下ギプスでも松葉杖なしで歩ける。
3週間のギプス固定期間中は、立って手を使う仕事(処置や手術)をこれで乗り切る予定。

夕食後にさっそく組み立てて使用してみた。
想定の範囲内の使い心地。ギプスの上縁が少し皮膚に食い込むが膝にパッドを追加したらなんとかなりそう。
その後は足を挙上して過ごす。まだ麻酔は効いていてさほど痛みを感じない。

23時位に就寝したが、1時頃に完全に麻酔が切れた。
流石に切ったところはそれなりに痛いし腫れてくるのを自覚する。
カロナールを追加投与してなんとかやり過ごす。
まんじりとしながら翌朝を迎えた。

術翌日〜抜糸(7日目)

1日目(術翌日、2月21日)

まず起きて食事。ダイニングまで行って食べるが、動くたびに痛い。あーロキソニン。
その後、ごみ袋でギプスをくるんでガムテープで目張りしてシャワー。45Lのゴミ袋がちょうどよい。
濡らすことなく終了。
ギプスを濡らすと乾かすのが大変だし、その後の異臭がすごいことになる。外来で鼻を曲げたことが何度もあるので、このあたりは注意。
松葉杖で1階に降りて、妻に職場まで送ってもらう。iWalkを職場に持っていく。ザックにカラビナとスリングでくくりつけていった。登山用具って便利。

出勤。
朝のカンファレンス。午前の外来業務。午後はデスクワークと若手の急患手術のお手伝い。
自分の手術翌日からさっそく手術室に入る羽目になり、例のiWalkを装着して若手手術の向かい立ちに入った。手洗いも可能だったし、安定して立っていることができた。松葉杖要らず。よい道具だ。無事手術終了。
1時間ほどの立位保持をすると体重を受ける膝は痛くなるが、両手がふさがって何もできないよりはマシ。
ギプス内で腫れがひどくなっているが、しょうがない。
本来は1週間ほど患肢挙上して安静にしているのが正しい。分かっているが休めない。

迎えに来てもらって帰る。

2日目 2月22日

送ってもらって出勤。
朝のカンファレンス。午前の外来業務。午後はフリーになり、ゆっくり仕事をさせてもらう。足が腫れてギプス内でパンパンになる。

3日目 2月23日

天皇誕生日。ありがたく一日休養。一日中こたつの中で過ごし、患肢はこたつの上に座布団において挙上して安静にした。足趾の運動だけ続けておく。腫れが引いて嬉しい。

4日目 2月24日

朝送ってもらい、午前は通常業務。午後から予定の有給休暇。
一番下の娘の受験のために某地まで車で移動した。別の一人で行かせてもよかった(すでに某地に住んでいる上の娘が迎えてくれる)し、一人で受験に行くことを高校から推奨されていることは重々承知だが、もうすぐ手が離れる一番下の娘だと思うとなんだか放っておけない。
しかし妻が一人で運転していくには難しい距離。
左ブレーキはできるし、ギプス下でも足趾でなんとか運転はできる。最も影響の少ない区間でクルーズコントロールを駆使して1.5時間ほど運転をした。

暗くなってから到着。上の娘と合流し、一緒に夕食を食べて久しぶりに色々話をし、翌日の段取りをして別れた。ホテルにチェックイン。

5日目 2月25日

朝食のないプランだったので、朝起きて近所のコーヒー屋でモーニングを食べる。そして試験会場近くのコンビニに移動。上の娘と合流した。彼女が通う大学なので勝手は分かっている。下の娘を連れて試験会場まで案内してくれた。助かる。
試験頑張れ娘。

試験中はすることがないので、一旦ホテルに戻りゆっくりした。

ギリギリまで滞在してチェックアウト。昼過ぎに上の娘と喫茶店で合流した。
今回の遠征の2つ目の目的。受験に夫婦で付いて来るならば会わせたい人がいるとのことだった。まぁなんとなく話は聞いていたのだけれど。
これから社会に出ようとしている若い二人の今後の展望や希望に耳を傾け、確認しておきたいことを少し質問し、いまの段階で心配なこと・許せること、などを話した。
不確定な未来ながら将来を見据えている二人に野暮なことは言えないが、さりとてまだ誰も何の約束もできない状況。二人でちゃんと歩んでいけることを証明して見せて欲しい。

もうすぐ完全に巣立っていく上の娘、まだまだ手がかかるが少し手が離れようとしている下の娘。大事な日に遊びで怪我した足を引きずるアホなオヤジ笑。
いろいろ激動だ。

若いカップルとはそこで別れた。またGWにでも帰ってくるのかな。

下の娘の試験が終わるまで、イオンモールの駐車場に車を停めて妻とポツポツと話をした。
子育ての終わりつつある安堵感と寂しさと彼らの新しい生活への期待感などがいろいろと入り乱れる。

下の娘から終了の連絡が入り、近くまで迎えに行った。
またこの地に次の娘を4年住まわせることになるか、そうならないか。
まだ分からなかったが、地図を見なくてもだいたいどこでも行けるくらいには自分もこの地を知った。
帰り道を妻に指示して、この街を離れた。

帰りは高速PAで夕食を食べたりお土産を買ったりしつつゆっくりと帰った。
また車の少ない区間ではしばらく運転を代わった。運転を代わると妻はすぐに寝落ち。長い運転ご苦労さま。ありがとう。

6日目 2月26日

日曜日。動きすぎた足がパンパンに腫れてつらい。一日足を挙上して、iPadとともに過ごした。完全に引きこもり。自堕落この上ないが、足の休養も必要。まだ抜糸前。

7日目 術後1週間 2月27日

抜糸してもらった。創部は特に問題なし。自分でエコーを見て腱の連続性、治癒状況を確認。問題なし。
もう通常業務に近いくらいに仕事しているが、午後の手術業務は今週もまだ制限のつもり、だった。
が、近所の開業医さんから緊急案件の相談あり。人任せにできない案件。
午後に緊急手術を実施。なかなか重篤な状況だが、まずは最善の一手。しかし次の一手が難しい。終えると足はパンパン。仕方がない。
帰ってまたこたつで患肢挙上、安静。

ギプス除去・装具装着(術後3週)まで

8日目 2月28日

また骨折の紹介あり。座って出来る手術なので、午後にじっくり座って手術実施。
出来る仕事はこなさねば。
家に帰ると動く気にならない。ソファでベッタリとiPadの友になる。
廃退的で自堕落の極み。
腓腹筋に力が入ると縫合した腱が牽引されて縫合が緩むので足に力を入れるのが難しい。足趾の運動に留めておく。
ギプスは緩んで足関節も10°くらいは動かせるのでそーっと動かす。
腱が治るまで、縫合糸よ、緩まないでね。

9日目 3月1日

午前は通常外来業務。午後はフリーになる。デスクワークを実施。

10日目 3月2日

一番下の娘の高校の卒業式。仕事柄、子供の行事に出席できたことがほとんどない。
最後の娘の卒業式くらいは見に行きたくて休みを取ってあった。
しかし、ギプスではスーツのズボンは入らないし松葉杖では式典会場の邪魔になると思い、結局行かず。

仕事は休みのままだったが、午前に準緊急手術を入れた。後輩に執刀をさせるつもりだったが、彼ではどうしようもない状況(器械トラブルで難度上昇)が発生し結局自分で執刀。問題なく終了。
有給休暇だけどしっかり業務。

終えてからyoutubeで生配信されている卒業式を見た。会場に行った妻はなんにも見えなかったとぼやいていたが、youtubeだと拡大ショットが見れたよ。ご褒美だ。

緩んだギプスを午後に巻き直してもらった。
看護師が群がってギプスカッターで切りたがる。どうぞ練習して頂戴。おいらの足で良ければ。
巻き直しても松葉杖生活には代わりはない。
今回、両手が塞がるってこんなにも不自由なのかと思い知った。
膝の靭帯を切って治療していたときも松葉杖生活だったのだが、ここまで不自由に感じなかった。運動能力が高い時期でなんとも思わなかったのか?

昼過ぎに迎えに来てもらって帰る。娘に卒業おめでとうと伝えたいが、友達とだべっていて帰ってこないらしい。
こたつでのんびりする。もうオットセイ。

11-13日目 3月3−5日

この3日間は勤続10年のご褒美で取ってあった休日。土日を絡めて3連休。
天候が折り合えば1泊か2泊で山に入るつもりだった。去年に引き続いて千丈平でテントでもいいし、黒部横断なんて冒険もあり得たし、新穂高から双六や三俣あたりに入るプランもあったし、毛勝三山に入るなんてことも考えていた。
こんなときに限って「なんて日だ」と叫びたくなるようなbig days!が続く。
雲散霧消とはこんなことなんだろうな。
もう悔しくて青空を見たくなくて引きこもり。iPadが心の友になっている感じ。

14日目 術後2週間 3月6日

ギプスの巻き直しで足趾が自由になり、運転できるようになったので自分で運転して通勤再開。
左ブレーキがもともと出来るので可能なのだが、できるだけ人や車が少ない時間を選ぶようにした。
朝は7時前に出勤、帰りは20時以降。お勧めできることではない。

痛みはほとんどないが、午前中ずっと座っているとパンパンに腫れてくる。重力に負けている。
深部静脈血栓ができているのではととても心配になり、その都度自分でエコーで静脈を確認する。
まぁしっかり血は流れてるわー。ちょっと安心する。
今週は普通に仕事ができそう。可能な限り手術に入っていく。

末娘は姉の後輩になることはできなかった。残念。後期試験で頑張ってくれ。

15-18日目 3月7−10日

起きて、ゴミ袋で足を覆ってシャワーして、運転して行き、仕事して帰る。
午後もiWalkを用いて手術に入っている。
ほとんど通常業務に戻っている。
金曜は妻の誕生日。妻と娘へのホワイトデーの買い物に松葉杖で行く。
ザックに入れられるモノしか買えない。ケーキを買いたいが松葉杖では潰さないように持てないので買えない。悲しい。

19日目 土曜日 3月11日

ほぼiPadの友。
少し他の方々の山行を見る心のゆとりができたので、眺めてみる。
あー楽しそうな山行ばっかりだなー、あー行きたいなー。
明日、ギプスが外れる。リハビリテーション計画を考えねば。
やることは完璧に分かっているだけに、ちゃんとできないと誰にも示しがつかない。

20日目 日曜日 3月12日

娘の後期日程の送り迎え(運転は妻だが)。
受かってくれと願うのみ。一旦自宅に帰ってもし落ちたときのことを相談する。
試験が終わる頃を見計らって迎えに行き、帰りに癒やしのアイスクリームを食べる。
どうだった?とも聞けず、夫婦でほんのり暖かく包むような空気を作るのみ。お疲れ様。後は信じて待つだけだね。

昼過ぎに山友から衝撃的な連絡あり。いろいろ段取りする。

明日でギプスともお別れ。

装具装着(術後3週)〜

21日目 術後3週目 3月13日

いつもどおり出勤。今日は怪我した足にはく靴下を持ってきた。今日でギプスが外れる。
届いた装具(アキレスブーツ)を確認してギプスをカット。まだ足関節は直角(底屈0°)にすることすらできない。アキレス腱が突っ張って底屈10°くらいか。徐々に1週間くらいで直角まで持ってこれるだろう。焦る理由なし。
焦って伸ばせば再断裂する。
装具を調整し装着してみる。踵はハイヒール状態で高くなっている。少し縫合部が突っ張る感触ではあるが荷重歩行できそうだ。
とりあえず片松葉で歩くことにする。再断裂は勘弁なので、これから数週間は最大限に注意して生活することになる。

大きな一歩。数日で松葉杖が外れて両手が自由になるだろう。
iWalkもこれでお役御免。リハビリテーション部に寄付して何らかの形で使ってもらおう。

22-25日目 3月14−17日

松葉杖は装具併用3日目で外せた。十分に歩ける状況が嬉しい。完全に通常業務に戻っている。
延期になっていた予定手術に加えて思いもしなかった緊急案件が今週は3件も重なった。
前2件は技術的にも状況的にもなかなか難しい案件。最後の一件はある意味人生がかかりそうな重要な案件。
水木金とかなりハードな手術日程。いつもより忙しくないか?

自分のリハビリテーションは自分で実施。
朝晩にアキレス腱に過度な緊張を与えないように足関節の他動的底屈背屈訓練を実施。
アキレス腱につながる腓腹筋の筋トレはまだできない。自動運動のみ実施。
自動でも足関節0°(直角)まで可能となった。まぁまぁ順調。

26-27日目 3月18−19日

土曜は休日当番なので朝から仕事に行く。帰ったらトド。わずかにリハ作業を行う。
日曜は17時から当直業務。

28日目 術後4週間 3月20日

アキレスブーツの調整実施。踵を一段下げてより正常角度に近くする。少し突っ張るくらいでちょうどよい。徒手的には背屈3°くらいは出来るようになっている。順調。

当直明けで昼から休みのはずが、先週末に入院した患者の手術日程が組めない。やむなく明けの午後の隙間にねじ込む。眠い。
午後は大学入試試験後期日程の結果を娘と一緒に確認する予定だったが叶わなかった。だめな親父だ。
手術を終えてLINEを確認したら、無事合格したらしい。
良かった、肩の荷が少し下りた。

ギプスが外れたので、運転時は装具を外して素足で運転。普通に運転出来る。
強く踏めないのでまだ左足ブレーキは続行。なにげに乗り降りの際の装具のつけ外しが面倒だ。

夜は友達とお祝い?と娘がでかけていったので、本当に3年ぶりくらいに夫婦で外食にでかけた。
妻とビールで祝杯。
送迎や弁当作りなどに奮闘した妻に精一杯の労いの言葉をかけた。自分ができていない分、本当にありがとう。
娘のこと、今後の二人の生活のことなどを話題にして大いに酔った。

3年前の今頃は新型コロナ感染拡大初期だった。
石川県では最初の何人目かの感染患者をたまたま自分が診療・診断した。今の基準では何事もない患者接触だったのだが、当時は念の為にと自宅隔離2週間を病院から言い渡されてしまった。
今となっては笑い話だが、もし自分が感染して重症化したら…と今後の対応を遺書めいたものにしたためたのを思い出す。
当時はまだ治療薬もなくほとんど未知の恐ろしい病だったということだ。
その隔離中に進学の決まった上の娘の新品PCをセッティングしたのを思い出す。部屋に持ち込んだPCをセッティングして、その後にPC全体をアルコール清拭して渡したっけ。
その後、コロナで全国巣ごもり状態になった。大学の授業がなかったりリモートだったりするので、上の娘は6月くらいまで自宅で生活した。
年子の長男は受験生。巣ごもり・リモート授業になったことなどで生活リズムが狂ってしまい、彼は本当に大変だったな。夫婦ではらはらどきどき心配ばかりだった。
そう考えると下の娘は高校3年間丸々コロナだったんだね。その割には上手に高校生活を楽しんだね。

濃密な子育てとそれぞれの仕事とコロナ。
大変だったね。

29日目 春分の日 3月21日

朝はちょっと病棟に行き仕事。帰ってまたトド生活。
が、そろそろ腱にごく軽度の負荷をかけてもいい時期になってきたので、装具なしでの立位保持などを開始する。
背屈も5°くらいは可能になっている。思ったよりも早いが、逆に言えば縫合が緩んできたのかもしれない。明日エコーで確認しよう。

30日目 3月22日

午前外来、午後手術。いつもの日常。腱の連続性に問題ないことをエコーで確認。

31日目 3月23日

業務は平常運行。

帰って下の娘のPCのセッティングをする。
windowsを個人的に使わなくなって久しい。最新バージョンのOSのため段々とついていけなくなっている。
検索して作業方法を確認しつつセットアップ。娘はすぐに自分を追い越すくらいに使いこなすだろう。
こういう作業でアドバイスするのはこれで終わりだろうな。
今後は最新のITを娘から教えてもらう側に回っていくのだろう。

毎週月曜にアキレスブーツの設定を変更して週末には慣れてくる、の繰り返しが始まる。
どんどん普通の歩行に近づいていく。

32日目 3月24日

平常業務後に当直。そこそこ働いて、そして寝る。

33日目 3月25日

当直明けで少し仕事をして昼ころに帰った。
午後は大学勤務時代に直接指導頂いた主任教授の退任記念パーティ。装具は併用しているが、歩いて行けることが喜ばしい。
このようなパーティは3年ぶり。
多くの先輩後輩にアキレス腱のことで声をかけてもらう。順調に治っていますよ。

34日目 3月26日

上の娘の中古車購入のため、日帰りで遠方まででかけた。妻は仕事で来れないので一人で往復10時間運転してきた。無事契約を済ませたが、もう見守るのみ(お金は別)。
どんどん手が離れていくね。
来年は社会人。ますます離れていく実感。頼もしくもあり寂しくもあり。
帰ると足はパンパンに腫れている。まぁ仕方ない。

35日目 術後5週 3月27日

またアキレスブーツの踵を一段下げる。踵上げの状態は来週で終わり。自宅ではほとんど装具を外して生活可能になっている。ブーツは車に置いて仕事中のみ装具は装着。自宅内は装具なしにした。
可動域訓練を加速させる。
腫れてしまう状況で仕事を続けていた影響なのか、アキレス腱だけではなく周囲の腓骨筋腱や後脛骨筋腱にも炎症が波及して癒着している。影響は大きい。滑動が悪く筋の伸展が硬い。
足関節背側の筋(前脛骨筋や足趾の伸筋腱など)の影響はまだ少ない。
30代後半に腓骨筋腱脱臼を5−6回繰り返したこともあり、もともと少し滑動が悪い。
腓骨筋腱のストレッチを重点的に行う。
痛みを押して自分でアキレス腱のマッサージを行いつつ可動域訓練を繰り返す。

36−39日目 3月28−31日

ブーツ装着ではほとんど独歩と同じように歩ける。ありがたやー。

40−41日目 4月1−2日

大学生になった娘のお祝いで焼き肉屋さんへ。
仕事中以外は完全に装具なしの生活になる。

42日目目 術後6週 4月3日

新年度。最後の踵上げを無くした装具で仕事中は過ごす。装具も今週いっぱい。

43−46日目 4月4−7日

片側での踵上げ訓練を開始する。健側も用いつつできるだけ患側のみで。痛みを押して続けていると徐々に出来るようになる。
これくらいの負荷ではもう切れることはない。
可動域も徐々に改善しつつあるが、手こずりそう。長い期間の浮腫に伴う拘縮はそれなりにある。術後の安静を守れていなかったから、これは受け入れるしかない。

階段を降りるときに必要な足関節の背屈角度はまだ得られていない。

47−48日目 4月8−9日

土曜はスポーツジムへ。装具なしで自転車を漕ぎにいった。合計45分。久しぶりに汗をかいた。
体幹と大腿の筋のマシントレーニングも実施。切れた側の筋力低下が著しい。出来る筋トレをするのみ。
一般的な筋トレのルーチンに従う。まずマックスを測定して、その60−70%で10回×1セット。最終的には計測を繰り返して3セット実施まで増やしたい。記録を残す。
日曜は自宅で可動域訓練と踵上げの筋トレ。
可動域の改善に伴って、踵接地から足趾で踏み返すような歩行動作ができるようになりつつある。
時間ができたらジムに頻回に通いたいが、なかなか時間が取れない。

装具完全除去(術後7週)〜

49日目目 術後7週 4月10日

アキレスブーツの役目が終わった。仕事中も独歩にした。まだ突っ張るし痛い。が、意図的に踏み返して歩くようにする。
階段を降りる足関節の角度はまだ獲得できない。だましだまし降りる。
この時期でも全体重がかかって急に踏み込めば(加速度がつけば)再断裂するだろう。その程度の強度しかない。徐々にアキレス腱線維が再生され更新されて正常な組織と強度を持つようになる。

これまでに臨床で経験した再断裂のほとんどはギプス除去から術後2ヶ月位までの間。
つまり十分な強度のないアキレス腱に負荷をかけ始める頃が一番危ない。
転ばないように気を付けて生活するしかない。

50−55日目 4月11−16日

日常生活すべてを装具なしで過ごし始めると、夕方には足はむくみ痛みが増す。
その代わり可動域は徐々に正常化されて、夕方には階段降下は楽になる。
翌朝にはむくみが取れて、でも関節は固くなっている。
その繰り返し。
両側なら踵上げは問題なし。しかし片足単独で、となるとまだ無理。痛みと筋力低下と恐怖で力を入れられない。これは徐々にするしかない。

56日目 術後8週 4月17日

今週から荷重負荷をかけたトレーニングをゆっくりと開始。
階段登りはもう支障なし。下りでは足関節背屈が悪いのでまだ痛い。
登山再開の基準は、①健側と同じ背屈角度が得られること、②片足踵上げが「自由に」出来るようになること、が最低条件。もう数週間はかかるだろう。
走るように山を移動するにはまだ3ヶ月くらいはかかるだろうな。

相変わらず腓骨筋腱と後脛骨筋が固い。余計な拘縮が起きてしまった。

63日目 術後9週 4月24日

およそ2ヶ月。
日常生活に不都合なし。階段昇降ほぼ不都合なし。踵上げ健側4割患側6割くらいの荷重で可能。蹲踞(足関節背屈)概ね可能。正座(足関節完全底屈)可能。まだ走れない。
患側下腿三頭筋筋力だだ落ち。心肺能力それなりに低下。ちょい体重増加。

創部の引きつれ、突っ張り感はまだ強い。後脛骨筋・腓骨筋の拘縮は概ねなくなったか。
創自体の瘢痕肥厚は中程度。日常生活の靴では支障なし。

術後3ヶ月目(5月)

週に1−2度ほどの頻度でジムに通いトレーニング。
およそ30分自転車漕ぎ、30分低速(6−8km/時)ランニング、30分クライマー(階段上りのような器械)がルーチン。
時々屋内ランニングコースを1時間ほどゆっくりランニング。

朝起きると関節はカチカチになって階段昇降も痛い。5分動くと問題なくなる。仕事から帰ってくると足首は象になっているが、寝る頃には少し腫れが引いている。
毎日、この繰り返し。

手術創部周囲は癒着でべったりだが、これはもうしょうがない。ケロイド体質なので創は痛々しくミミズ腫れ。これもしょうがない。3‐4年できれいになるだろう。

なかなか日々の運動量を増やせないので焦るが、体力はいずれ元に戻る。筋力も。ただなにか故障すれば1ヶ月ほどは棒に振ることになる。焦らずに、焦らずに…

術後4ヶ月目、登山復帰(6月)

5月に入ってからはもう山行は大丈夫と分かってはいたものの、なかなか山に足が向かなかった。
これはほとんど気持ちの問題だろう。

ようやく6月11日に小山に行った。思っていたよりも動けるし斜面に対応できた。
体は重くなり筋力も落ちているが、これはトレーニング次第。
何事もなく終えることができて嬉しかった。
しかし自分が望むようなパフォーマンスには当然程遠いので、コツコツ続けるのみ。
まずは山行後数日間、異常がでないか観察。

翌週も、その次の週も、僅かな山行をこなす。どうやら大きな心配はなさそうだ。
7月から少し負荷を増やしていくことにする。
week dayのトレーニングも拡大すべきだろう。

ここから先はアスレティックリハビリテーションの範疇。アキレス腱治療としては終診でよいだろう。