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十勝岳ピークの光顔巍々

十勝岳のピークにはもちろん山頂標柱と三角点があったが、それとは別に石柱が一本建っていた。

写真を確認すると「光顔巍々」と彫られていた。
何のことだろう?
調べてみた。

お釈迦様が教えを説いたときに「光顔巍々(お顔全体が大きな光)」となっていたという浄土真宗の謂れから来ているようだ。

十勝岳のピークに何故?
それはこのページに詳しい。

当時登山が流行り出していたものの、山頂には何も無かったらしい。
昭和12年2月末に西本願寺法主であった大谷光照がスキーで登頂を果たしたことを記念して、揮毫を残そうと17年に担ぎ上げて建立したという。

坊さまがスキー???
この法主、大谷家の生まれだが昭和天皇の従兄弟で東京帝国大学卒業というお方。
テニス、ゴルフ好きだったとか。
1937-1938年の京都スキー年鑑に大谷光照の名前があった。伊吹山大会が大谷光照猊下杯として開催されている。
戦前のスキー事情がどれほどのものかは分からないが進取の気性であることは間違いないか。

それにしても2月末の十勝岳。
天候が良いとしても登頂はかなり大変だったろう。

しかし北海道では当たり前の事だったかもしれない。
函館で育った父(昭和7年生まれ)は、幼い頃に当たり前のようにスキーを教わったと話していた。
初めて自分がはいたスキーはオモチャのような長靴スキーだっだが、忘れもしないテレマーク式のものだった。
父からするとこれがスキーだということだったのだろう。
全然滑れなかったけど…

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